僕は、最近あることに気づいた。
話しても理解されないことが、これほどまでに疲れるものなのかということだ。
特に、近しい人との会話がうまくいかないと、どうにもならない感情が心の中にたまっていく。心の奥に、じわじわと、知らないうちに重たい石のようなものが積み上がっていく感覚だ。
僕は長い間、何でも話し合える相手がいることが当たり前だと思っていた。でも、ふとした瞬間に、そうじゃなかったんだと気づかされた。以前は、深い話ができる人がいた。
何も気にせずに、お互いの思いや考えを交換できる時間があった。それはまるで、気持ちのいい午後の風に吹かれて散歩をするような感覚だった。風は心地よく、歩く先にはどこまでも広がる道があった。
今思えば、その時間は貴重だったんだ。
でも最近、違う。
相手は僕の言葉を受け止めようとしない。ただ、自分の信じるものだけを頑なに守ろうとする。僕の言葉は、まるで何か硬い壁にぶつかって跳ね返ってくる。それが、どれだけ疲れるかは想像に難くない。
そんなとき、僕は決断した。
「もうこういう話題を避けよう」と。
僕は宗教や政治の話題について、自分の意見を述べることをやめることにした。それは単なる退却ではない。自分を守るために必要な手段だ。
そうしなければ、僕の心の中に積み上がっていく石が、やがて崩れてしまうだろうと思ったからだ。
近しい人といえど、すべてを話すべきではない。ある話題は避けるべきだ。
それは、対話をあきらめるということではない。むしろ、平和な関係を保つための知恵だ。
自分の意見や価値観を大切にしながら、無駄に消耗しないために。距離を適切に保つことが、お互いを傷つけないための方法でもある。
僕は、深呼吸をする。大きな海の上で漂うような気持ちになって、遠くを眺める。
対話が成立しないのなら、無理に進もうとせずに、ただ潮の流れに身を任せればいい。
その流れの先に、また深く話し合える誰かが現れるのを待つしかない。風が吹けば、また別の道が開けるかもしれない。
